We Pray In The Name Of Jesus

「その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。」(ヨハネ16:23)

あるキリスト人は、祈りの終わりに、「主イエス・キリストを通して…」と言います。聖書的に言えば、イエス・キリストを「通して(through)」祈るのは正しくありません。私たちは、そのように祈るような存在ではありません。 イエス・キリストを通して祈る事は、キリストを仲介者にすることで、キリスト人は、すでに神の臨在の中にいる存在で、仲介者を必要としません。罪人のみ仲介者が必要なのです。だから、罪人が救いを受けるためには、イエス・キリストを呼ばなければなりません。罪人が、イエス・キリストを通して救いを受けると、神の力によって、神の臨在に導かれ、もはや、どの仲介者も必要としません。

イエスを通して(through)祈ることと、イエスの名前で(中でIn the name)祈ることの間には、法的な力の違いがあります。イエスの名前で祈る事は、イエスの代わりに祈る事です。イエスの名前で何かを求めることは、実際イエスご自身が、それを願っておられるという意味なので、御父は、イエスを拒否することはできません。

イエスは言われました。「その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。」(ヨハネ16:23-24)。 したがって、正しい祈りの方式は、イエスの名前によって、イエスではなく、御父へ祈るべきなのです。なぜなら、イエスの名前でイエスに祈ることはできないからです。これは、霊的に意味が通じません。

中には、「御父に祈るとき、イエスが、私たちの代わりに、切にとりなし祈りをしてくださる」という人がいます。 そうではありません。イエスはそうしないです。 ヨハネ16:26-27で、イエスはこう言われています、「その日には、あなたがたはわたしの名によって求めるのです。わたしはあなたがたに代わって父に願ってあげようとは言いません。それはあなたがたがわたしを愛し、また、わたしを神から出て来た者と信じたので、父ご自身があなたがたを愛しておられるからです。」 御父ご自身が、私たちを愛しておられ、私たちのため、誰かに祈ってもらう必要がないと、イエスの言われた言葉に注目してください。したがって、イエスの名前によって祈って応答を受けてください。ハレルヤ!

祈り
愛する天の父よ、イエスの名によって祈り、応答を受ける特権を与えてくださり感謝します。イエスの名前に属する力によって、主に感謝いたします。イエスの名前の権威と、統治、性質をもって祈るとき、私に不可能はありません!私は永遠の勝利者であり、果てしない実りと結果を結ぶように召されました。イエスのお名前で祈りします。アーメン。

参照聖書
マルコ16:17 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、

ヨハネ14:14 あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。

ヨハネ15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。