2025年6月4日(水)
イエスの十字架と復活
His Crucifixion And Resurrection

「まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。」(詩編16:10)

主イエスに関するすべてのことは、前もって預言されていました。イエスの誕生、生涯、死、埋葬、復活、そして栄光の昇天まで預言されたのです。イエスが、「…さあ、わたしは来ました。聖書のある巻に、わたしについてしるされているとおり、神よ、あなたのみこころを行うために」(ヘブル10:7)と言われたのも不思議ではありません。たとえば、十字架につけられることは、千年も前から預言されていました。詩篇の作者は、詩篇22篇にその美しい描写を記されています。(全文を読んでください。)

預言者ゼカリヤもまた、ゼカリヤ書12章10節で、主の死について預言しています。「…彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、…」この預言は、十字架につけられたイエスの手と足が刺し貫かれることを預言していました。

さらに、詩篇16篇10章には、イエスの復活についてこう書かれています。「まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。」イエスが十字架上で死なれたとき、イエスは地獄に行かれたのです。死んだ罪人はみな地獄に行くことになっていて、イエスは全世界の罪を負われたからです。

しかし、イエスは地獄で悪魔と暗闇の悪霊どもを打ち負かし、勝利の内によみがえられました。 ヨナの経験もまた、イエスの復活を預言していました。ヨナ書1章17節には、「…ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいたヨナは三日御晩、魚の腹の中にいた。とあります。主イエスは、マタイの福音書12章40節で、「ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。」(NIV)と宣言しておられます。

詩篇110篇1節は、イエスが栄光を受けることを預言しています。「主は、私の主に仰せられる。『わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ。』」主イエスは、この預言がご自分を指していると断言されました。「パリサイ人たちが集まっているときに、イエスは彼らに尋ねて言われた。『あなたがたは、キリストについて、どう思いますか。彼はだれの子ですか。』彼らはイエスに言った。『ダビデの子です。』イエスは彼らに言われた。『それでは、どうしてダビデは、御霊によって、彼を主と呼び、「主は私の主に言われた。「わたしがあなたの敵をあなたの足の下に従わせるまでは、わたしの右の座に着いていなさい。』ダビデがキリストを主と呼んでいるのなら、どうして彼はダビデの子なのでしょう。」(マタイ22:41-45)

これらの預言とその成就は、イエスの死と復活について語ったことを理解するために不可欠なものです。ローマ1章4節にあるように、これらの預言は、イエスが本当に神の子であり、人間の肉体を持った神であるという真理を証明するものです。イエスは死者の中からよみがえられ、聖なる御霊によって、力ある神の子であると宣言されたのです。神を褒めたたえます!

祈り
愛する父よ、イエス・キリストの死と埋葬と復活を通して示された主の愛の紛れもない証拠を認めます。イエス・キリストが私たちのために成し遂げてくださった勝利と、私たちをキリストにあり勝利者にしてくださったことを感謝します。私はイエス・キリストの完成された御業の実在の中に生き、地の果てまでイエス・キリストの主権と義を宣べ伝えます。イエスの御名によって祈ります。ハレルヤ!

参照聖書
(詩篇22:14-16)、私は、水のように注ぎ出され、私の骨々はみな、はずれました。私の心は、ろうのようになり、私の内で溶けました。私の力は、土器のかけらのように、かわききり、私の舌は、上あごにくっついています。あなたは私を死のちりの上に置かれます。犬どもが私を取り巻き、悪者どもの群れが、私を取り巻き、私の手足を引き裂きました。

(イザヤ53:5)、しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

(マタイ28:5-6)すると、御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。