2024年7月24日(水)
イエスについての神の証
God’s Testimony Of Jesus
「…すると、天が開け、…また、天からこう告げる声が聞こえた。これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」(マタイ3:16-17)
上記の聖句は、多くの人がイエスの神性について混乱している聖句の一つです。彼らは、神でさえイエスをご自分の子であると証言しているのに、どうしてイエスは神と同等でありうるのか、と主張するのです。
それは、彼らが「神の子」という表現の意味を理解していないからです。このことは何度か説明したが、繰り返します。「神の子」とは、肉体を持った神のことです。天には、父なる神、子なる神、そして聖霊と呼ばれる3つの別々の「存在」がないことを理解してください!ただ一人の方だけがいるのです。その名はイエスです!
御父はイエスの中におられるのです。聖霊はイエスの内におられるのです。聖書は、イエス・キリストのうちに、満ちあふれる神性が、余すところなく、見える形をとっての宿っておられると言っています。「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。」(コロサイ2:9)神は唯一であり、その名はイエス・キリストです。イエス・キリストは受肉した御言葉であり、人となった神なのです。(ヨハネ1:1、ヨハネ1:14)
コロサイ1章15節は、イエス・キリストを目に見えない神の正確な姿、つまり目に見えない神を目に見えるかたちとして描写しています。16節から19節を詳細訳で読んでみましょう。「というのは、すべてのものは、天にあっても地にあっても、見えるものも見えないものも、また位も主権も支配も権威も、彼において造られたのであり、またすべてのものは彼を通して[彼の働き、介入によって]また彼の内に造られた[存在している]からです。…なぜなら、[御父は]いっさいの神の充満[神の完全、力、属性の全量]が彼の内に恒久的(こうきゅうてき)に宿ることをよしとされ」主の御名をとこしえにほめたたえます!
また、テトス2章11節から13節を読むと、イエス・キリストが偉大な神と呼ばれていることがわかります。「…祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現れを待ち望むようにと教えさとしたからです。」イエスは大いなる神であり、その栄光ある現れを私たちは待ち望んでいるのです。ハレルヤ!
イエス・キリストの神による証を信じ、あなたは受け入れなければなりません。なぜこれが重要なのでしょうか?イエスが誰であるかを知らなければ、イエスに仕えることも、イエスのために生きることもできないからです。さらに、今日、罪のために地獄に落ちたり、罪に定められる人は誰もいないのです。なぜなら、イエスはすでに地上のすべての男、女、少年、少女の罪のために罪に定められたからです。イエスは、罪のためにすべての刑罰を支払われたのです。
したがって、人々が地獄に落ちる第一の理由は、イエスが誰であり、何をするために来られたのかという神による証を信じず、受け入れないことにあるのです。
祈り
愛する父よ、神の充満がかたちをとって宿っておられる、イエス・キリストの啓示において感謝します。私はイエス・キリストが唯一のまことの神であり、永遠の命であることを信じ、認めます。主にすべての栄光、威厳、支配と賛美がとこしえにありますように。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(ヨハネ1:1-3)初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
(ヨハネ1:1-14)ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
(コロサイ1:15-20)御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
(テトス2:11-13)11 というのは、すべての人を救う神の恵みが現れ、私たちに、不敬虔とこの世の欲とを捨て、この時代にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現れを待ち望むようにと教えさとしたからです。