2025年7月23日(水)
わらのように夢を捨てる
Discard Dreams Like Chaff
「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。」(ローマ8:14)
預言者エレミヤは、聖霊の導きを受けて、エレミヤ書23章28節で神の宣言を伝えました。「夢を見る預言者は夢を述べるがよい。しかし、わたしのことばを聞く者は、わたしのことばを忠実に語らなければならない。麦はわらと何のかかわりがあろうか。―主の御告げー」
エレミヤは、夢と神の言葉との間に明確な区別を引いています。彼は、一部の預言者は夢を主張する者もいますが、真に神の言葉を持つ者は、その言葉を忠実に、かつ変わらずに伝える義務があると述べています。そして、彼は「麦はわらと何のかかわりがあろうか。」と告げるのです。
ただの夢と神の御言葉は、わらと麦の関係のようなものです。わらは、脱穀の際に穀物から分離される価値のない殻です。では、わらはどうするのでしょうか?捨てます。あなたのただの夢についても同じように捨てなければならないのです!
旧約聖書における夢は、神が民と交わる手段の一つでした。(例:創世記37:5-10のヨセフ、ダニエル7:1のダニエル)しかし、ペンテコステで聖霊が降臨した瞬間(使徒の働き2章)以降、新約には、神がご自分の子どもたちに啓示や導きを与える手段として知恵と啓示の御霊によって導かれるのです。
夢によって導かれていると主張し続ける者は、旧約時代の生活と奉仕を続けているのです。彼らは神が既に去った領域で活動しているのです。あなたの経験に関わらず、教会時代において神が民に働きかける方法は、聖霊、ビジョン、そして御言葉です。
祈り
愛する父よ、私をすべてのことに導き、導いてくださる聖霊に感謝します。私の歩みは父によって定められ、私の人生は神の御言葉によって導かれています。したがって、私は真理、知恵の中で、神の神聖な導きの実在の中で歩みます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(使徒 9:10-12)さて、ダマスコにアナニヤという弟子がいた。主が彼に幻の中で、「アナニヤよ。」と言われたので、「主よ。ここにおります。」と答えた。すると主はこう言われた。「立って、『まっすぐ』という街路に行き、サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。そこで、彼は祈っています。彼は、アナニヤという者がはいって来て、自分の上に手を置くと、目が再び見えるようになるのを、幻で見たのです。」
(2 テモテ 3:16-17)聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。
(ヨハネ16:13)しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。
(使徒13:2)彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。」と言われた。