True Humility
“自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。”(ピリピ2:8-9)
謙遜は新しく造られた人間の霊の属性であり、神聖なる恵みをもたらします。謙遜は神様の御言葉を通して、イエスキリストが主となられることについて、絶対的な服従によって反応することができるようにするあなたの内的な能力-活気に満ちた力(a vital force)-です。このような謙遜は、御言葉に対する忠誠心であり、他の人に仕える責任を喜ぶ心によって行動に表れます。
主イエス様はまことの謙遜が何であるかについて実質的な模範となって生きられました。一番目に主は、へブル10:7に記録されたように父のみこころに対する完全なる服従を見せられました。 “『さあ、わたしは来ました。聖書のある巻に、わたしについてしるされているとおり、神よ、あなたのみこころを行うために。』」” 二番目に聖書は、ピリピ2:6-9で、主は神様の御姿であるのに、神のあり方となろうとされなかったと語っています。むしろ主はご自身を捨てられ、しもべの姿をとられ、死にまでも従順されたのです。このような理由で神様は主を高く上げられ、すべての名にまさる名を与えられました。
私たちは信じる者としてキリストの心を持って、主の謙遜を見習わなくてはいけません。私たちにまことの謙遜とは、神様の御言葉が主となることに服従することです。だからこそあなたは御言葉を知らなくてはいけず、御言葉があなたの考えと言葉、行動を導くようにしなくてはいけません。これがイエス様に従順する方法です。なぜならばイエス様は生きておられた御言葉だからです。そしてまた、Ⅰペテロ5:6は、神様の力強い御手の下で謙遜であるならば、時が来ると私たちが高くされると語っています。イエス様が父の御心を行われ高くあげられたように、あなたもまた御言葉によって完全に従順する人生を生きるとき、栄光から栄光へと高められるのです。
祈り
愛する父よ。私は今、そしていつも、あなたの御言葉に譲り、あなたの知恵を通して導かれ進み行き、謙遜の服を着ます。私はあなたに栄光をお返しし、私に向かうあなたの計画を成すために生きます。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン
参考聖句
Ⅰペテロ5:5、ピリピ2:5-10