How Strong Is Your Desire?

“彼女は、イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、うしろから、イエスの着物にさわった。「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」と考えていたからである。”(マルコの福音書 5章25−28節)

 聖書は、一二年の間長血を患っていたが、必ず奇跡を受けようと、決心をしていた女の話を私たちに述べています。その女は自身の願いを求め、他の人たちとの身体的な接触を禁じている規則を無視して、群衆の中に紛れ込みイエスに近づきました。

 その当時のユダヤの習慣によると、長血を患っていた人は、汚れた者としてされていました。ですから、彼女は、他の人たちを触れることは別として、人々の間で見つかるだけでも、死に至るまで石打ちにされる危険性を甘んじていなければなりません。解放される願い、癒しに対する願いが、彼女が難関を突破していくように導いた原動力でした(マルコ5:24−29)。

 同じ脈絡で、ハンナが必死に男の子を持つために、奇跡が起きることを願うまでは、何のことも起きませんでした。必ず、奇跡が必要だという決心を持つまでは、長い間に変わったことがありませんでした。ハンナは、主の家に入り勝利するまでに神の前で祈り続けました。多くの人たちは、ハンナが単に神に誓いを立てたのだと、思いましたが、しかし彼女は、それ以上のことをしました。ハンナは、何故、男の子を持つ必要があるかを強力な理由もあげながら、神に願いました。そして、彼女の祈りは叶えられました

 経済的に状態を変えるため、どのくらいの渇望を覚えていますか?健康状態を変えるために、どのくらいの渇望を覚えていますか?次の段階に進むために、あなたの願いはどのくらい強いのですか?あなたが牧師や教会のリーダ−であれば、霊的な子を持つために、どのくらい強く願っていますか?

 私たちは、常に成長するのを願います。私たちみなは、成長を続け、前進したいと願っています。しかし、どんな領域でも、霊的成長は非常に簡単で、基本的な原理から来ています。このような原理は、妥協することができるのではありません。その内の一つは、強い熱望、すなわちどんなものでも抑え切れない強い渇望です。 あなたの渇望が、あなたを行動へと繋がるように十分に強くしてください。

祈り
愛する主よ、御言葉を通して私の心からの願いが、絶えないということを確信させてくださり感謝します。私の心は、御父を求め、私の人生に対する主の召しや目的を果たすのを願います。鹿が水を切に求めるように、私の心は御父を求めます。私を通して、私の世界にある人々は、救いのメッセージに触れています。イエスの御名の中で祈ります。アーメン。

参考聖書
エレミヤ書 20:9  私は、「主のことばを宣べ伝えまい。もう主の名で語るまい。」と思いましたが、主のみことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて燃えさかる火のようになり、私はうちにしまっておくのに疲れて耐えられません。

ローマ人への手紙10:13−15  「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。15 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」

コリント人への手紙第一 4:15  たといあなたがたに、キリストにある養育係が一万人あろうとも、父は多くあるはずがありません。この私が福音によって、キリスト・イエスにあって、あなたがたを生んだのです。