2022年6月28日(火)
すべては主に関すること
It’s All About The Master

「また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。」(マタイ10:22)

マタイ17章24-27節を読むと、ユダヤ人の役人たちが、ペテロに税金のことで嫌がらせをしに来たとき、彼らはペテロに税金のことを尋ねなかったことがわかります。 むしろ、彼らは「あなたがたの先生は、宮の納入金を納めないのですか」(マタイ17:24)と言ったのです。言い換えると「あなたの先生は税金を納めているのですか」ということなのです。彼らはペテロを見過ごし、代わりに主に焦点を当てたのです。

私たちの主に関することは、いつもそうなるのです。世界は、私たちのアイデンティティのことではなく、私たちが代表するイエス・キリストのために私たちを憎んでいるのです。彼らは主に対するあなたの信仰のために、あなたを憎むでしょう。あなたがどんなに良い人で、どんなに親切で、どんなに成功的であっても、あなたがイエス・キリストと結びついている限り、彼らにとっては何の違いもないのです。

イエスへのサタンの憎みは、世の霊といいます。世はイエスを憎んでいます。多くの人は、イエスを十分に知ってもいないのに、それでもイエスを憎んでいます。なぜなのでしょうか。どうして知りもしない人を憎むことができるのでしょうか。それは、世の霊のせいでそうです。その霊は世中の多くの人たちを捕らえて、主を憎しむように動かしています。

彼らは宗教を求めます。祈りを願い、彼らは何かを信じたいのです。しかし、あなたが彼らにイエスのことを話すと、彼らはイエスを激しく拒絶するのです。シメオンという人は、このイエスが「反対を受けるしるしとして定められています」(ルカ2:34)と言っています。

今、私たちがイエスだけを唯一の道であると言うと、それは「ヘイトスピーチ(hate speech、嫌悪発言」であると主張する人々がいます。彼らは私たちの言うことの多くをヘイトスピーチと解釈し、それによって終わりの時にクリスチャンを大規模に迫害するための土台を築いているのです。

イエスは、マタイ10章25節でと言われました。「… 彼らは家長をベルゼブルと呼ぶぐらいですから、ましてその家族の者のことは、何と呼ぶでしょう。」あなたが迫害されるとき、あなたは自分の名前ではなく、イエスの御名によって遣わされたことを常に覚えていてください。したがって、主ご自身があなたの弁護となり、報いとなるのです。

告白
私はキリストの大使なのです。私は、キリストの救いの力の知らせを伝える者です。私は、この世の苦難や迫害に関係なく、揺るがず、大胆に、常に主の働きに努めています。私はいつも主にあって栄光を勝ち取り、キリストの義と祝福と救いの力を地の果てまで大胆に宣べ伝えます。アーメン!

参照聖書
(ヨハネ15:18-21)もし世があなたがたを憎むなら、世はあなたがたよりもわたしを先に憎んだことを知っておきなさい。もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。しもべはその主人にまさるものではない、とわたしがあなたがたに言ったことばを覚えておきなさい。もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害します。もし彼らがわたしのことばを守ったなら、あなたがたのことばをも守ります。しかし彼らは、わたしの名のゆえに、あなたがたに対してそれらのことをみな行ないます。それは彼らがわたしを遣わした方を知らないからです。

(ルカ2:34)また、シメオンは両親を祝福し、母マリヤに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。

(マタイ10:24-25) 弟子はその師にまさらず、しもべはその主人にまさりません。弟子がその師のようになれたら十分だし、しもべがその主人のようになれたら十分です。彼らは家長をベルゼブルと呼ぶぐらいですから、ましてその家族の者のことは、何と呼ぶでしょう。