2025年4月21日(月)
すべてはあなた次第であると考えよ
Think Like It All Depends On You
「 というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったなら、私はわざわいだ。」(1コリント9:16)
すべての国々に福音を宣べ伝えることは、まるでその働きが私一人だけにかかっているかのように考えて取り組まなければなりません。それはパウロが持っていた考え方であり、見習う価値があるものです。あなたの霊にそのような炎があるとき、それを鎮(しず)めるものは何もありません。パウロのように、「……私にはしなければならないことが課せられている!ああ、福音を宣べ伝えないなら、私は災いだ。」とあなたも言うようになるでしょう。
パウロは自分に課せられた責任の重さを認識し、全世界にメッセージを伝える決意をしたのです。あなたの立場、考え方、メンタリティも同じでなければならないのです。「ああ、世界中には数多くのクリスチャンや教会、ミニストリーがあるのです。彼らが福音の完全な宣教のために何かしてくれることを望みます。」という考えは持たないでください。代わりに「私は個人として何をするつもりなのか」と自問してください。
パウロは「祝福に満ちた神の、栄光の福音によれば、こうなのであって、私はその福音をゆだねられたのです。」(1テモテ1:11)と言いました。パウロは福音宣教を自分の働きとして受け入れました。神はあなたを信頼し、同じことを任せられることができるでしょうか。もし神がそのビジョンの実現をあなたに委ねたとしたら、あなたはそれを成し遂げることができるでしょうか。この質問は、あなたが魂の獲得について、まだ主を知らない人々のためにどのように執り成すかについて、これまでとは違った考えを持つきっかけになるはずです。
もしあなたが、自分の国、県、市、近隣などで唯一のクリスチャンだったら、どのようにふるまうでしょうか。今とは何か違うことをするでしょうか。今の生き方を続けるか、それとも困難に対して立ち上がり、もっと多くのことを行うことでしょうか。あなたの環境で、福音によってはるかに大きな影響を与える決意をしましょう。
待っていないで、必要な決断を下し、すぐに行動に移しましょう。魂の獲得と伝道の優先順位を決めましょう。多くのことがあなたの注意を引くために競い合っているかもしれませんが、あなたは神の王国をあなたの人生の最前線に置かなければなりません。マタイ6章33節です。「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」
祈り
愛する父よ、私の世界で福音を宣べ伝える責任を私に委ねてくださったことを感謝します。私は、注意散漫になったり、自己満足したりすることを拒否します。私は王国を最優先とし、すべての時間、労力、資源を神のビジョンを実現するためにささげます。神の御霊によって、私は緊急性と卓越性をもって行動し、神が私に召されたすべてのことを成し遂げます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(使徒 20:18-24)彼らが集まって来たとき、パウロはこう言った。「皆さんは、私がアジヤに足を踏み入れた最初の日から、私がいつもどんなふうにあなたがたと過ごして来たか、よくご存じです。19 私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました。20 益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました。人々の前でも、家々でも、あなたがたを教え、21 ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。22 いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。23 ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。24 けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。
(1コリント9:16 AMPC)というのは、私が[単に]福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。