くちびるの果実は私たちの言葉です
The Fruit Of Our Lips Are Words
「あなたがたはことばを用意して、主に立ち返り、そして言え。『すべての不義を赦して、良いものを受け入れてください。私たちはくちびるの果実をささげます。』」 (ホセア14:2)
第一ペテロ2章5節によると、私たちは生ける石として用いられ、霊的な家に造り上げられ、イエス・キリストによって神に喜ばれる霊のいけにえをささげる聖なる祭司として建てられていると述べています。これらのいけにえは、もはや青銅の祭壇にささげる雄牛や子牛のいけにえではありません。私たちのくちびるの果実なのです。ヘブル13章15節には、「ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか」とあります。
くちびるの果実とは、今日の御言葉にあるように「御言葉(言葉)」です。「感謝する」というギリシャ語は「ホモロゲオ(homologeō)」で、「告白する」という意味です。従って私たちは告白しなければなりません。つまり、主の御名に感謝する言葉を話しましょう。例えば、このように言います。「父よ、主はすべての人よりも偉大です。父は主権者である神であり、恵み深く、親切です!主は永遠に愛し、常に忠実で真実です。主は絶対的に良きお方です!王の王、主の主である神の愛、偉大さ、優しさに感謝します。」
それがくちびるの果実をささげることであり、主の偉大さ、力、愛、優しさ、善良さ、そしてあなたの人生における主の働きとミニストリーを告白することです。私たちがささげる言葉「くちびるの果実」は、旧約聖書の祭司たちが行っていたように、継続的に行わなければなりません。
聖書には、祭司が何をすべきかが記されています。「立って朝ごとに主をほめたたえ、賛美し、夕べにも同じようにすること。安息日、新月の祭りおよび例祭の時に、定められた数にしたがって絶やさずに主の前にささげる主へのすべての全焼のいけにえのこと」(歴代誌上23:10-11)。
新約聖書では、私たちの言葉で、絶えず霊的ないけにえをささげることが求められています。あなたは、今からでも実践できることです!感謝と賛美に満ちた心で、主がいかに偉大であるか、主の御名がいかに比類のないものであるかを告白しましょう。賛美のいけにえを主の威光にささげましょう!主の偉大さをほめたたえ、その聖なる御名を崇めましょう。主のような人は誰もおらず、主の王国と支配は永遠に続くことを忘れないでください。
告白
祝福の父よ、父の偉大さと優しさに感謝します。父は唯一真理の知恵ある神であり、人の問題を治め、支配するお方であり、祝福された唯一の主権者であります。主よ、すべての栄光と尊敬と威厳と統治と賛美が主にありますように、イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(ホセア14:2 AMPC)あなたがたはことばを用意して、主に立ち返り、そして言え。「すべての不義を赦して、良いものを受け入れてください。私たちはくちびるの果実をささげます。
(へブル13:15 AMPC)ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。。