THE FIRE OF CLENSING

「私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。」(マタイ3:11)

聖書の中で、火は非常に重要です。ある場所では、神の霊や御業の表し、または示された性質を象徴として使われました。神はご自身をモーセに啓示された時は燃えている茂みの中でした(出エジプト記3:3-5)。イエスが弟子たちに約束されたように(使徒2:1‐4)、聖霊が臨まれたとき、火のように分かれた舌がそれぞれの上に現れ、聖霊で満たされたと聖書に記録しています。今日の御言葉で、洗礼者ヨハネの聖霊とバプテスマについての話を読みました。今多くの人は、聖霊の力と聖霊の火が同義語であることを意味するヨハネの言葉を混同しています。しかし、そうではありません。洗礼者ヨハネは、イエスが聖霊と火とのバプテスマを授けなければならないと言われた時、その「火」は裁きを意味すると言いました。

聖霊の火はきよめに関するものです。それは、「裁きの火」または「きよめの火」とも呼ばれます。「…ご自分の脱穀場をすみずみまできよめられます。麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」(マタイ3:12)。それが裁きです!マラキ3:2-3で同じことを言えます。「だれが、この方の来られる日に耐えられよう。だれが、この方の現われるとき立っていられよう。まことに、この方は、精練する者の火、布をさらす者の灰汁のようだ。この方は、銀を精練し、これをきよめる者として座に着き、レビの子らをきよめ、彼らを金のように、銀のように純粋にする。彼らは、主に、義のささげ物をささげる者となり、」

したがって、聖霊の火はきよめの火です。それはあなたの人生から汚れたものを取り除きます。それらの汚れたものを焼き尽くし、あなたの中に不純物がないようにしてください。その火はあなたをきよめて、神以外のものをすべて取り除きます。ですから、主に仕えるため聖別されました。あなたは神の栄光をもたらし、地上での神の御心を確立するために、名誉を受ける尊い器であります。ハレルヤ。

告白
私は主イエス・キリストの名によって、そして神の御霊によって洗われ、聖別され、義とされます!聖霊の火が私の心のすべてを汚れからきよめるので、私に不潔はありません。私は神の栄光の輝きであり、神の義の現れです。ハレルヤ!

参照聖書
(イザヤ4:3-4) シオンに残された者、エルサレムに残った者は、聖と呼ばれるようになる。みなエルサレムでいのちの書にしるされた者である。4 主が、さばきの霊と焼き尽くす霊によって、シオンの娘たちの汚れを洗い、エルサレムの血をその中からすすぎ清めるとき、

(1ペテロ1:7) 信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。

(2テモテ2:19-21) それにもかかわらず、神の不動の礎は堅く置かれていて、それに次のような銘が刻まれています。「主はご自分に属する者を知っておられる。」また、「主の御名を呼ぶ者は、だれでも不義を離れよ。」20 大きな家には、金や銀の器だけでなく、木や土の器もあります。また、ある物は尊いことに、ある物は卑しいことに用います。21 ですから、だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。すなわち、聖められたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。