2025年3月9日(日)
あわれみを求めないで獲得せよ
Don’t Ask For Mercy—Obtain It
「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださったかたのすばらしいみわざを、あなたがたがたが宣べ伝えるたるためなのです。あなたがたは、以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者です。」(1ペテロ2:9-10)
マルコ10章46節から52節には、バルテマイという盲人が癒された驚くべき物語が記されています。ある日、主イエスと弟子たちがエリコの町を去ろうとしたとき、バルテマイは道端に座って物乞いをしていました。ナザレのイエスが通りかかったと聞いて、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください!」と叫び始めたのです。
周りの多くの人々は、静かにしなさいと叱りましたが、バルテマイはさらに大きな声で「ダビデの子よ、わたしをあわれんでください。」と叫びました。 イエスは立ち止まり、バルテマイにご自分のところに来るように呼ばれました。バルテマイは外套を投げ捨て、立ち上がってイエスに近づきました。イエスは彼にお尋ねになりました。「何をしてほしいのか?」盲人は答えました。「先生、私は見えるようになりたいのです。」バルテマイの信仰に感動したイエスは言われました。「行きなさい。あなたの信仰があなたを癒したのです。」すぐにバルテマイは視力を得ました。彼は主に憐れみを求め、その願いは叶いました。
しかし、バルテマイとは違って、今日、キリストにあって新しく創造されたあなたは、泣いたり、祈ったり、主に憐れみを「乞う」必要はないのです。あなたは憐れみを受けたのです。ハレルヤ。冒頭の聖句を思い出してください。キリストにあって、豊かな憐れみは、私たちがそれを求めようと思う前に与えられているのです。ヘブル4章16節には、「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」とあります。
これは驚くべき真理です!憐れみを求めなさいと言われているのではなく、私たちに憐れみを受けなさいと言われているのです。憐れみはすでにキリストにおいて私たちに与えられており、私たちはただ与えられたものを受け取るだけなのです。だから今日、あなたはどれだけの憐れみを求めているでしょうか?あなたはどれだけの恵みが必要で、何のためにそれを求めるのでしょうか?あなたは神に懇願する必要はないのです!ただ受け取るだけです!これは驚くべきことです。神の備えの豊かさを示しているからなのです。神は、私たちが求めようと考える前に、私たちに憐れみと恵みを与えてくださったのです。私たちに必要なのは、大胆に、確信を持ってそれを受け取ることだけなのです。
祈り
愛する父よ、私はキリストにあって得た豊かな憐れみと、私をすべてのことにおいて満ち足りた者としてくださった私の人生に対する主の豊かな恵みを喜びます。今もなお、私は世界中の罪人たちの救いのために憐れみを得ます。最も心の荒んだ人たち、道を踏み外した人たち、邪悪な人たち、彼らがその道から立ち返り、栄光ある福音の光を受け入れることができるようになりますように憐れみを得ます。イエスの御名によって、祈ります。アーメン。
参照聖書
(1 歴代誌16:34)主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。
(ローマ5:17)もしひとりの人の違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵みと義の賜物とを豊かに受けている人々は、ひとりの人イエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです。
(エペソ2:4-5)しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。―