2023年10月9日(月)
あわれみは力である
Compassion Is A Force

「イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。『わたしの心だ。きよくなれ。』」(マルコ1:41)

前回のあわれみについて言ったことを思い出してください。あわれみとは、他人の苦痛を和らげたいという強い願望です。あわれみは人を行動に駆り立てます。あわれみは力なのです。

イエスと主の奉仕の仕方を学ぶと、イエスはしばしばあわれみによって動かされたことがわかるでしょう。イエスは誰かをあわれんだり、誰かあわれみの心を動かされたりするたびに、その状況を変えるために、何かの行動をされました。

あわれみは、人々を教え、食べさせ、癒すように、イエスを動かしました。マルコ6章34節には、こう書かれています。「イエスは、舟から上がられると、多くの群集をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。」また、マタイ14章14節には、「イエスは舟から上がると、多くの群集を見、彼らを深くあわれんで、彼らの病気をいやされた。」とあります。

あわれみは、イエスを動かして、ナインという町で、やもめの一人息子を生き返らせました。イエスはやもめを見たとき、あわれみに心を動かされました。 「主はその母親を見てかわいそうに思い、『泣かなくてもよい』と言われた」(ルカ7:13)。そして、棺に触れ、死んだ人に起き上がるように命じると、その人は生き返りました。

マタイ20章34節には、二人の盲人のことが書かれています。彼らは、イエスの後を追って叫んで言いました。「ダビデの子よ、私たちをあわれんでください。」イエスは立ち止まって彼らの望みを尋ねると、彼らは見えるようになりたいと答えました。聖書には「イエスはかわいそうに思って、彼らの目にさわられた。すると、すぐさま彼らは見えるようになり、イエスについて行った。」と書かれています。

ですから、主のように私たちもあわれみ深くなければならなりません。変化は、私たちがあわれみにより動かされたときにやってくるのです。私たちは今日、主の本質の完全な現れです。主は、あなたがあわれみで心を動かされ、困っている人々のために何かをするように促されるのです。あなたの世界にいる人々の生活や状況を変えることを期待しておられるのです。あなたは御霊によって、行動を起こし、慰めを与え、傷ついた世界に神の愛と優しさを伝える器となる力を与えられているのです。

祈り
愛する父よ。私はあわれみに動かされ、困っている人々に癒しと力と慰めと希望をもたらした、イエスの模範に心燃やされます。私は行動を起こし、慰めを提供し、傷ついた世界にあなたの愛と優しさの器となるために、御霊によって力を与えられています。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

参照聖書
(詩編145:8) 主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵みに富んでおられます。

(詩編112:4) 主は直ぐな人たちのために、光をやみの中に輝かす。主は情け深く、あわれみ深く、正しくあられる。