YOU’VE CRUCIFIED THE FLESH

「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。」(ガラテヤ5:24)

特定の習慣にとりこになっている、クリスチャンがいます。彼らはその習慣を克服できるように、神に祈り続けます。残念なことに、彼らの多くは祈るほど、むしろその習慣の統制となおさら支配を受けます。そのため、彼らは混乱し、その状況はもう改善できないものだと考えます。ある人は、自分はそこから自由になることができないと考え、倒れます。

しかし、聖書を研究すると、ローマ6:14で、「罪はあなたがたを支配することがないからです。」と述べていることが分かります。今日の本文の御言葉も同じ声を出しです。「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです」 つまり、キリストの中にいれば、あなたはどんな習慣にも縛られないという意味です。それでは、特定の習慣に束縛されているように見える人々の問題は何でしょうか?それは単に彼らに知識が欠けているからです。

神は私たちに肉と戦ったり、罪や習慣の戦いで奮闘したりすることを求めませんでした。私たちは既に肉を十字架につけました。私たちは世を打ち勝って、サタンと罪を治める支配権を持っています。したがって、クリスチャンや説教者が他の人に 「肉を十字架につけなさい」と勧めるのは、間違った言い方です。

既にそうなっている人に、改めてそうなろうと努力したり、既に得ているのに、改めて手に入れようとしたりすることは無駄です。神があなたの肉を十字架につけたと言われたら、既にそのとおりなのです!あなたの役割は、それに呼応して、「私はキリストのものであるので、決して罪や肉の支配を受けないし、トラブルもありません。それゆえ、私は肉の好みや欲望を十字架に つけました。」ということです。

ガラテヤ5:25では、「もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。」とあります。私たちは御霊から生まれ、御霊の中で住んでいるので、御霊によって歩むべきます。もしあなたが御霊で歩いていながったなら、今聖霊の中で歩き始めましょう。また、神の御言葉の光の中で歩きながら、こう宣言してください。「今日から、私の肉身と心は私を支配し、主宰することはできません。私は感覚の支配を拒否します。神の御言葉が私のコンパスになり、私は御言葉で生きています。」

ガラテヤ5:16はこう言います。「私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません」。御霊によって歩むことは何でしょうか。それは御言葉の光の中で、つまりキリストの中にある真理の中で歩くことで、あなたの義と栄光の中で御霊と共に歩くことです。ハレルヤ!

告白
罪が私を支配できません。私は御霊によって肉の情欲と習慣を十字架につけました。私は世を克服しました。私はサタンより優れています。私は、主イエスの御名によってきよめられ、義に認められています!ハレルヤ!

参照聖書
(ローマ6:11-14) このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。12 ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従ってはいけません。13 また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。14 というのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。

(1コリント6:11) あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。