What Do You Want?

“またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。”(ヨハネ14:13-14)

持っている能力に限界の無い人だけが上記のようなことばを宣言することが出来ます。イエス様は、あなたが主の御名によって求めるなら、それが何であろうともかまわず喜んで行うと言われました!あなたと神様に良いものであるなら、求めることができ、求めたものは受けるようになるのです。エレミヤ32:27で主は言われました。”「見よ。わたしは、すべての肉なる者の神、主である。わたしにとってできないことが一つでもあろうか。」”主はかしら(the big boss)であられます。全てのものを所有しておられる主が、今日あなたにこのように語っておられるのです。“あなたの願うものを求めなさい。そうすればそれがあなたに成し遂げられる。”

ある人々は言います。“私たちは、自分が求めるものを絶対に神様に要求してはいけません。神様は、私たちが願うもの(wants)ではなく、私たちに必要なもの(needs)だけを下さいます。” しかし、主は言われます。“…求めること(ask)は何でも” これははっきりと、“あなたに必要なもの”だけを求めよというみことばではありません。また実に、あなたはあなたが必要なものを求めてはいけません。なぜならば、天の父は、あなたの必要としたものをすでに供給して下さったからです。聖書は、主は空をとぶ鳥、野のゆりさえも養って下さると語っています。主が鳥や花を養って下さるなら、ましてや愛する子どもであるあなたはどれほど見守り養って下さるでしょうか?[マタイ6:31-32(AMP)を読んでみましょう]

宗教は多くの人々を惑わし、彼らが自分の必要を求めなくてはいけないという考えに陥るよう騙します。しかしパウロは言います。“また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。”(ピリピ4:19)パウロは神様の代わりとなって、教会に約束をしようとしたのではありません。彼は神様が働かれる方法を知るようになりました。神様はただ一部ではなく、私たちのすべての必要を満たして下さるのです!したがって、あなたに何かの必要が生じたときに “神様、私はこれとあれが必要です。” と祈る必要はありません。ただあなたはそれを持っていると、イエス様の御名によって宣言しましょう。

アブラハムの子孫であるあなたが、人生の中で最高のものを持つのは当然のことです。あなたは他の人々が持っているものをうらやんだり、何か欠ける状態にいる理由が全くありません。あなたが望んでいるものは何であろうとも得ることが出来ます。あなたが享受するに相応しくないほどに良いものなどはありません。主の御名によって、あなたが願うものを大胆に求めて受けてください。そうすれば、あなたの喜びは満ち溢れることでしょう(ヨハネ16:24)

告白
主は私の羊飼い、私は、乏しいことがありません。私は今日、栄えの光の中を歩みます。なぜならば、私はアブラハムの子孫であり、言葉で言い表せない富に接することが出来、備えを認識するからです!絶え間なく与えられる神様と繋がっているため、私は私が必要とされるもの全てを持っています。

参考聖句
Ⅱコリント9:8、詩篇23:1