Keep Your Mind On Him

「肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。」(ローマ8:5-6)

肉的に考えるということは、肉体的、あるいは世俗的なことにあなたの心を置くことを意味します。肉に従うクリスチャンは、彼の感覚、感情、状況によって振り回さたり支配されます。聖書は、これが死、つまり神の命からの分離をもたらすと警告しています。

その一方で、御霊に従うクリスチャンは、神の言葉を通して、目に見えない王国の実在どもに注意を向けています。その人は御言葉によって生き、神の言葉に基づいて問題や状況に応じます。

簡単な例を挙げてみましょう。肉に従う人は、熱や頭痛を感じると、「今、あなたの症状は、インフルエンザにかかったのかもしれません。」という感覚の言葉を聞きます。その人は、自分の感覚に集中しているので、自分の思いに同意して「医者の診察を受けるほうがいい。」と言うようになります。

しかし、御霊による思いをする人は同じ症状を感じるとしても、自分は患うことが不可能である事実を知っているので、動揺しません。その人の注意は御言葉にあります。御言葉によれば、彼の神聖の健康は、キリストにおける本質です。それゆえ、彼はこう宣言します、「私の中に神の命を持っているので、私は病気を拒否します」

聖書は、私たちに感覚によって生きる者は、神を喜ばせることができないと知らせています(ローマ8:8)。なぜなら、彼らは信仰によって生きていないからです。信仰がなくては、神に喜ばれることはできません(ヘブル11:6)。 キリスト教は信仰によって生きるのです。信仰は、義人のライフスタイルであり、神の言葉に基づいています。ですから、神の言葉があなたの思考を支配し、あなたの人生を治めるようにしましょう。

御言葉に心を留め、繁栄し、全き平安の人生を送ってください。イザヤ26:3は、「志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。」 ここでの「平安」という ヘブル語は「シャロム」であり、つまり神の安息であり、その中には繁栄、健康、強さなどがあります。ハレルヤ!

祈り
私は肉の感覚によって制限され、支配されることを拒否します。むしろ、私は信仰によって見て、考え、話し、そして御言葉を通して問題や状況に応えます。私は御言葉を通して生き、私が属する霊的な王国の完全な意識の中を歩きながら、福音の豊かさを楽しんでいます。イエスの御名でお祈りします。アーメン。

参照聖書:
(ピリピ4:6-7) 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

(へブル12:1-2) こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。