(“Sow” The Right Words Into Your Heart!)
“自分は信心深い者だと思っても、舌を制することができず、自分の心を欺くならば、そのような人の信心は無意味です。”(ヤコブ1:26新共同訳)
上の箇所の下線を引いた部分で使徒ヤコブが言おうとしたのは、あなたがある人に‘あなたはあなた自身を欺いている’と言うこととは違います。彼が‘自分の心を欺くならば’と言った時、彼は霊的に言っていました。自分の心を欺くことは自分の霊に、偽りを信じるようにさせるという意味です。例えば、キリスト者が‘私は、私が貧しいことを知っています。私は何も持っていません。私の人生のいかなることも上手くいっていません。’と言う時、その人は神様の福音の中でキリストのみこころと供給に反することを言っています。そしてこのような言葉は彼の霊に種として入っていきます。
マルコの福音書4:26-27でイエス様は言われました。“・・・「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。” 種を蒔く者がしなくてはならなかったことは種を植えることだけでした。また種は御言葉であり人の心は種を受ける地です。(マルコ4:14-15)否定的に話す人々はここから抜け出すことができません。なぜならあなたはあなたが言ったことを得るようになるからです。(マルコ11:23)
例えば、ある人が持続的に貧しさと足りなさを話すなら、たとえこの世の全ての富が彼に限りなくやってきたとしても、彼はずっと貧しいことでしょう。この原理は、第Ⅰコリント2:9-12で説明されています。(全体を読みましょう)神様はイエス様を愛する者のために、人間の想像を超えるもっと偉大なものを備えておかれ、また神様の霊を通しこのようなことを私たちに明らかにしてくださいました。御霊は神様の深みにまで及ばれ探って下さるのです。御霊のほかにはだれも知りません。その人の霊のほかにだれによってその人のすべてのことをわきまえができるのでしょうか。“いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。”(第Ⅰコリント2:11)
したがって人の霊も御霊のようにできるのです。聖霊様は、あなたを探られあなたのために、それらを刈り取るため、あなたがあなたの霊に蒔いた言葉をわきまえしてくださいます。したがってあなたのこころに続けて正しい言葉を植えてください。神様があなたに関し語られたことと一致する言葉だけ話しましょう。今、この瞬間にもあなたは喜びと平和と繁栄と神聖な健康と勝利で満たされたことを宣言しましょう。あなたの霊に信仰で満ちた言葉を続けて植えてください。
祈り
愛する父よ、神様のみことばは私の霊を導き、私の人生をいつも神様の計画とみこころと目的に一致することだけ話すように助けになる光です。したがって、私の人生は喜びと平和と繁栄と健康と昇進の収穫です。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。
参考聖句
創世記8:22、箴言20:27