Your Harvest Is Sure
「種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。」(詩篇126:6)
しばしば、主のために多くの努力と資源をささげた後に、しばらくすると、「私のこれらの努力に対する報いや利益はどうなのでしょうか?」と疑問に思ってしまう人々に出会います。
それに対する、神の御言葉は明らかです。神は常にこの上なく贈り主です。神よりも与えることができる人はいません。聖書は、「神は正しい方であって、あなたがたの行ないを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。」(へブル6:10)と書かれています。それゆえ、励ましを受け、絶望しないでください。
今日の本文は、これを明確に示します。「種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。」(詩126:6)。これは、あなたの収穫が確実であることを意味します。あなたの収穫は間違いなく起こります。束(sheave)とは、刈り取った後に一緒に縛る穀物の茎(くき)や穂(ほ)の束です。運んだり積み上げるための縛りなのです。この言葉は、多くのものがまとめられたパッケージを指す用語として使われることがあります。しかし、今日の御言葉で出る「束」は、あなたの捧げたものから得られる任意の形式の収穫を指すものであって、単にお金を意味するのではありません。
神の子として、あなたが知っておくべき重要な事実は、あなたが選択した場合、いつでも収穫できるということです。あなたはいつでも収穫することができます。創世記8:22で「地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。」と言われています。 「種蒔きと収穫」とは、収穫がいつでも可能であることを意味します。種を蒔く時がありますが、あなたはいつでも収穫を招くことができます!今日があなたの収穫の日、あなたの祝福の日だとみなすことができます!主を賛美します!
あなたの収穫は、超自然的な方法で行われるべきです。例えば、聖書は、イサクが収穫のために自然では不可能な飢饉の時に種をまきましたが、その年に百倍の収穫を見たと言います。(創世記26:12-13)
私たちは、必要なとき収穫が行われるように決定することができます。これは、私たちがイエスの名で働くからです。しかしながら、忍耐の必要はあります(へブル10:36)。信じる者は急がない(イザヤ28:16)からです。
祈り
恵み深き御父よ、御父に捧げるものを通して、私は蒔き祝福される機会を得、収穫を呼び起こす特権をいただき、感謝します。 私が植えられた種と愛の行いが、私の使命、経済、家族、そしてすべての生活の領域で、豊かな祝福の収穫を刈り取るように父の御霊によって聖別されます。イエスのお名前によって祈ります。アーメン。
参照聖書
2コリント9:7-11 ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。 8 神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。9 「この人は散らして、貧しい人々に与えた。その義は永遠にとどまる。」と書いてあるとおりです。10 蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。11 あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。
ガラテヤ6:9 善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。
ルカ6:38 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」