AFFIRM YOUR VICTORY AND DELIVERANCE

「「私は信じた。それゆえに語った。」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。」(2コリント4:13)

キリスト教は、信仰の生き方です。私たちは信じているため、話します。私たちは環境によるのではなく、御言葉を信じる私たちの信仰に基づいて話します。

これは、ヨナ書2:1-4で、ヨナのインスピレーションの言葉を思い起こさせてくれます。苦しい状況の中で、ヨナが見せた肯定的な信仰をお読みください、「…私が苦しみの中から主にお願いすると、主は答えてくださいました。私がよみの腹の中から叫ぶと、あなたは私の声を聞いてくださいました。 あなたは私を海の真中の深みに投げ込まれました。潮の流れが私を囲み、あなたの波と大波がみな、私の上を越えて行きました。私は言った。『私はあなたの目の前から追われました。しかし、もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです。』と。」(ヨナ2:1-4)

悲惨な状況にもかかわらず、ヨナの祈りの内容を考えてください。ニネベに行って、神の言葉を宣言しなさいという神の指示に従わなかったため、巨大な魚がヨナを飲み込んでしまいました。魚の腹の中でも、ヨナはあきらめないで、「もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです。」と宣言し、自分の勝利を預言しました。

これは預言的な祈りであり、神の人がこのように聖霊の霊感によって、神の御心を話す祈りが重要です。さらに、魚の腹からのヨナの預言的な祈りを観察してください。「…むなしい偶像に心を留める者は、自分への恵みを捨てます。しかし、私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえをささげ、私の誓いを果たしましょう。救いは主のものです。」(ヨナ2:8-9)

これを読んで、「ああ、ヨナは魚の腹から出てきた後、このように祈ったのね」と思うかもしれません。いいえ。彼はまだ魚の腹の中にいる時、こういう預言的な祈りをしたのです。ヨナは、状況を見ていると、神の憐みを失うことだと知っていました。彼は、神が救い主であり、救出者であることを認識したので、苦境に置かれることを拒否したのです。

こうして、苦難の中でヨナは、自分を救ってくださることについて神に感謝し始めました。ヨナは神の言葉を理解した神の預言者でした。ヨナは、神が無いものを有るもののようにお呼びになる方であることを知っていました。(ローマ4:17)

あなたの現在の不快な状況によって揺らがないでください。不足や良くない健康の負の症状に注目しないでください。あなたの勝利を預言してください。御言葉を宣言しましょう。絶望的な状況の中にあっても、主を礼拝してください。あなたが克服したことを宣言してください。あなたの救いと勝利について、神に感謝しましょう。

祈り
神の言葉は、今日私の心と口にあり、それによって私は勝利します。私の口にある御言葉は、神が言われる言葉です!私には不可能なことはありません。私は御言葉の中で、御言葉によって住んでおり、絶え間なく勝利の中を歩くからです。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(詩編27:1-3) 主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。悪を行なう者が私の肉を食らおうと、私に襲いかかったとき、私の仇、私の敵、彼らはつまずき、倒れた。たとい、私に向かって陣営が張られても、私の心は恐れない。たとい、戦いが私に向かって起こっても、それにも、私は動じない。

詩編91:2 私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神。」と。

(ローマ4:17) このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。

(マルコ11:23) まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。