What You Need Is Not A Touch

「神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」(コロサイ1:27)

一部のクリスチャンは未知のうちに、旧約聖書の啓示に基づいて生き続けています。それは新しく造られた者への神の計画ではありません。そのようなクリスチャンは、考えを変えるまでは、自分も知らずに、神の栄光から外れて歩き続けます。

新約聖書の中には、今日、教会で誰かに教えたり、実践されているものなどを発見できません。例えば、誰かが自分の人生の変化を望んで、「私は神からのタッチが必要です。神が私に触れてくださるように祈っています。」と言います。このような告白は、見事に聞こえるかもしれませんが、新しく造られた者の実在を伝えることも、現すものでもありません。しかし、このような告白は、その人々が生活の中で、当然味わうべきにもかかわらず、たまにしか栄光を経験した理由を示しています。

御霊があなたの中に充満して住んでいるのに、御霊の 「タッチ」を求める理由は何でしょうか? 今日の御言葉は、栄光の望みであるキリストが、あなたの中におられると言います。あなたが触れようとしている相方は、あなたの霊と混じり合っています。あなたは御霊と一つです。「しかし、主と交われば、一つ霊となるのです。」(1コリント6:17)。 あなたに必要とするものは「触れる」ことではなく、常に御霊で満たされることです。それで聖書は、いつも聖霊に満たされる方法を示しています。(エペソ5:18-21全体を黙想しましょう)

キリストはあなたの中にあり、キリストがすべてです。あなたには御霊が満ちています。あなたは神によって満ちています。聖書は、あなたが、すべての支配と権威のかしらとして、キリストにあって、満ち満ちていると言います(コロサイ2:10)。 これがキリスト教の啓示です。すでにあなたの中に住んでいる方から、どれくらい触れられることを期待していますか? 主の手はあなたの手の中にあり、主の足はあなたの足の中にあります。主はあなたの目を通して見ます。あなたは主の生きている聖殿です。主に栄光がありますように!

細かいことに気すぎで、神が最大にしたものを縮小しないでください。 パウロは言いました、「私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。」(1コリント13:11)。 一度受けたタッチをもっと求めないでください。聖霊はあなたのそばにいて、時々あなたに触れるように送られたのではありません。聖霊は永遠にあなたの中に住んでいます。ハレルヤ!

祈り
愛する御父よ、私がキリストにある超越的な命を理解ができることに感謝します。私は父の御言葉を見て、その御言葉で生き、父の栄光は、私の中に住んでいる聖霊を通して現れています。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
ヨハネ3:34  神がお遣わしになった方は、神のことばを話される。神が御霊を無限に与えられるからである。

ヨハネ14:16-18  わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。18 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。

エペソ5:18-21  また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。19 詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。20 いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。21 キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい。