2023年10月24日(火)
あなたがどんな種族であるかを忘れるな
Don’t Forget What Species You Are
「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。」(2テモテ3:16)
神の言葉は、 私たちを 神の王国の事柄に導き、指導し、教えて訓練するために与えられています。しかし、御言葉についてさらに重要なのは、神が私たちを見ておられる観点から、私たち自身を見ることができるように、神が御言葉を与えてくださったということです。神の御言葉は鏡だからです。(2コリント3:18)
あなたが神の鏡を見るとき、神があなたに抱いているイメージと、神がどう思っているかを見るのです。神が望んでおられるのは、あなたが自分に対する姿を正確に把握し、それに従って行動できるようにすることです。
ヤコブ1章22-25節は、同じ重要で有益な真理を伝えています。「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。みことばを聞いても行わない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。」
御言葉を実行していない人は「自分がどのような姿であったか 」を忘れるとは書かれていません。そうではなく、「どのような人であったか 」を忘れてしまうのです。言い換えれば、自分がどんな「種類 」や 「タイプ(類型)」の人なのかを忘れてしまうことです。神の鏡である御言葉は、あなたの外見だけを映し出すのではなく、あなたの 「種類 」や 「種族」を映し出します。
神の御言葉は、あなたが神の仲間の存在であり、あなたの持つ命は神の同じ類いの命であることを示しています。ハレルヤ! あなたの役割は、神の鏡をしっかりと見つめ、自分が誰であるかを忘れないことです。
第二コリント3章18節には、こう書かれています。「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」この 「反映させる(behold)」という言葉は、ギリシャ語の 「カタノエオ(katanoeō )」から訳されており、それは、注意深く考察する、~に自分の目や心を留める、と言う意味です。神の御言葉にある自分の姿に心を留め、注意深く考えるとき、あなたは神性の栄光、美しい、卓越さと同じ姿に変えられていくのです。神に栄光をささげます!
告白
私は新しく造られた者であり、この世の原理から離れた、未だかつて存在したことのない新しい種族です!私は常に、御言葉の中に見るのと同じ、神の栄光、美しい、卓越さの姿に 変えられていくのです。 神を褒めたたえます!
参照聖書
(2コリント5:17)だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
(ヤコブ1:18 ) 父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです。