Affirm The Word, Not Your “Feelings“
「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(2コリント4:18)
信仰とは、感覚が認知するのでなく、神の御言葉を宣言することです。信仰は、あなたの感じたことや見たことではなく、あなたが願うものを、神の御言葉に基づいてはっきり宣言することです。例えば、あなたの体が何かの試練にあったとしても、あなた自身は、完全で、元気で、強いだと宣言することです。すると、サタンはあなたをからかって、「なぜそんな振りをしているの? 君が大丈夫じゃないことを自分もわかっているのに。 「私は元気で完璧だ」と言うのは、自分自身をだましているんじゃないの?」と言うでしょう。
サタンの言うことに耳を貸さないでください。あなたは元気で強くて、栄えていると言い続けてください。決して、サタンの願うとおりに言わないでください。たぶん、あなたは、「私は豊かで力強いです!私は必要なお金はすべて持っている。」と宣言してきたと思います。その時サタンは言います、「でも、君には、まだあれもこれも支払いしなければならないことがあって、実際に何もないのが知っている君は、偽りの人生を生きているじゃないの。」 その時に、「ああ、神様、私が偽りの人生でないことを証明するため、お金が本当に必要です。」とは祈らないでください。 そのようにしてはいけません!サタンの偽りのために、自分自身を下げないでください。あなたは偽りの人生を生きているのではありません。真実(真理)を語って生きています。あなたは御言葉通に歩んでいるのです。
あなたが学費を払わなかったという理由で、子どもが学校から追い出されることがあるかもしれません。友だちや同僚から「子どもたちはどう?学校でよくやっている?」と聞かれると、あなたは、こう答えるでしょう。「はい、子どもたちはうまく通っているわ!」 するとすぐに、サタンから「子どもたちは学校に行っていないのに、なぜ、子どもたちがよく通っていると偽るんだ!」という声が聞こえるでしょう。 あなたは偽っているのではありません。神のことばを話しているのです。
あなたは直面している状況を言わずに、解決策を確言する必要があります。あなたは、あなた自身が信じてきたとおりに言わなければなりません。これが信仰です。2コリント4:13は語っています、「『私は信じた。それゆえに語った。』と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。」 御言葉を語り続けてください。信仰にとどまり、心の平和を整え、心が邪魔されないようにしましょう。
祈り
尊い主よ、主の御言葉を知り、恵みを与えてくださり感謝します。主の御言葉を知る知識が真理を知ることです。私は、真理によって自由にされました。御言葉の上に固く立ち、いつも勝利して環境に圧勝します。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
1ヨハネ3:1 私たちが神の子どもと呼ばれるために、――事実、いま私たちは神の子どもです。――御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。
ローマ5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。